2019/10/24
マネジメント
ビジコンのススメ!当社がBIZPIAでビジコンに出場するまでの軌跡
開発の取り組みを始めたのが2016年、ビジネスプランコンテストとの出会いは2018年でした。当時、経営革新計画で審査を担当して頂いた方にビジネスプランコンテストの取り組みを紹介頂き、いつか応募しよう。そう思い今に至ります。
開発からビジネスコンテスト登壇までの軌跡をご紹介させて頂きます。
開業までの流れ
私が手にした仕事感
私は、株式会社キャリアアシストシステムズの代表の中庭英雄です。
私は正直、学生時代不真面目で、通っていた高校すら卒業せずに辞めてしまいました。
それからとある飲食店で死に物狂いで働いていましたが働けど働けど給料も生活もギリギリでした。
とあるキッカケで転職することになったのですが、スーツを着る仕事がしたいと思い、通信の営業のお仕事に転職しました。
転職して初めてのお給料日、1ヶ月目にして残業が多かった飲食店の給料を抜いてしまい、3年弱飲食店で働いていた努力が何だったのか、疑問に感じてしまいました・・・。
その通信の営業の仕事に就きながら、通信制高校に通い、高校を卒業することが出来ました。
というのも、1回目の学校は3年目に辞めたので、たった1年で卒業できたのです。
その学校に通学しているときに、通信制高校という仕事に憧れを持ちました。
僕もそうでしたが普通の学校をやめてしまってリスタートをしたいと思い、通いだした人間。
その時通っていた他の生徒たちも何かしらの出来事があって通信制高校に通っていました。
またその時、リーマンショックの影響が残っており、就職倍率は当時の大阪で0.86倍でした。
派遣切りが横行し、私が働いていた際の同僚も、「3年頑張ったら正社員にして店長にしてあげる」という言葉を期待して3年経ったある日、転属を言い渡され、正社員になることが出来ませんでした。帰りの電車の中で泣きながら悔しがっていたのを今でも思い出します。
私はどちらかというと、転職で仕事感が大きく変わりました。
営業というお仕事が自分の性に合っていたのだと思います。
通信制高校にその当時通っていた生徒の8割がひきこもりや非行による原因で通学していた生徒でした。
僕は社会に出てから2年のブランク越しに通信制高校に通っていたので、ほとんどが年下の生徒でしたが。
色々話をきいていたけど、バイトをがんばっている子、遊びに熱中している子、バイクが大好きな子、アニメが好きな子、いろんな生徒がいました。
でも半分以上の生徒が進学先・就職先を描けておらず、卒業後なにをするかを決めれていない子たちが多かったのです。
ワーキングプアといった人たち以上に、働くことを意識できていない生徒たちの方がさらに劣悪な環境に立たされているとその当時感じました。
今はバイクやヤンチャ、ゲームにパワーを割いている生徒たちですが、このパワーが仕事に向いたときどう変化するのだろうか
そんなことを思って卒業後に通信制高校に転職することになりました。
通信制高校のキャンパスでの仕事
通信制高校に勤務し始めて得た感想は、通っている生徒たちのほぼ全員が、状況を変える、改善するために学校に通っているのではなく、「高卒」を取得するためだけに学校に通っていました。
結局将来の為であるはずが、目標が卒業して高卒を手にするだけであり、卒業してからのことは考えていない子がとても多かったです。
意外と、ヤンチャで手を付けれなかった子が、消防士になりたいや公務員になりたいと希望を言ってくれた時も印象的でしたが。
そこで、単純な授業だけでなく、希望者を募って職業知識を身に付ける授業を専門学校や企業に依頼して行いました。
実際に仕事を体験してみて、今働いているアルバイトよりもいいお給料の仕事に出会う。
それだけでも刺激に感じてくれたのではないかと思っています。
残念なことに良い取り組みをたくさん行ってきましたが、上層部の経営不振が影響し、退職せざるを得なくなりました。
開業のきっかけ
もし、その学校が破綻していなければ、私は独立していなかったかもしれません。
当時、給料が半年出ず、ガソリンスタンドでバイトをして生活費を稼ぎながら仕事に通っていましたが、限界を迎えて退職しました。
転職も視野に入れながらでしたが、その当時の業界の仲間の声もあり、挑戦する気持ちが固まりました。
通信制高校生だけではなく、その前職で見られたようなワーキングプアの人に職業訓練をして就職するような会社を作りたいと思い開業しました。
一筋縄ではいかなかった・・・。
ジェットコースターのような開業
開業当時、ボロボロのアパートの自宅の一室を事務所にして地元の奈良で仕事を始めました。
仕組みもバッチリ。飛びついて利用頂けると思った開業でしたが、いい意味でも悪い意味でも保守的な地域で当時なにもつながりが無かった私は中々、お客様を作ることが出来ませんでした。
当時21歳、、、若造で中々相手にしてもらえず、いいスタートダッシュではありませんでしたがアルバイトを続けながらなんとか仕事にこぎ着けました。
その時の売上を全部使って大阪で事務所を構えました。
県民性もあるのか、大阪は新しいもの好きな方が多く、奈良で営業していた時とは打って変わって営業が身になりだしました。
いやぁ・・・ほんと奈良県内の営業活動は苦しかった・・・。
山もあれば谷もある・・・
大阪で営業活動を行いだした頃に大きな壁にぶち当たりました。
求人案件を獲得することができても、求職者のニーズを中々満たすことが出来ず、せっかく研修や書類対策、面接練習をやっても紹介先で就職が決まらないのです。
紹介した先で就職先が決まって「おめでとう!」とネクタイをプレゼントして、初出勤日になって
頑張っているかなと意気揚々と出勤すると紹介先から「出勤していない、連絡がつかない」と連絡があり、落胆したこともありました。
仕事をしているはずなのに対価が得られない・・・。
その経験が今のBIZPIAを開発するキッカケになりました。
地域若者サポートステーション事業とのかかわり
お声をかけていただいた
仕事がうまくいかないと感じ始めていた矢先で、地域若者サポートステーション事業という、厚生労働省の委託事業で働かないかと声をかけて頂きました。
サポステでは、地域ブロックごとに若年無業者を中心に就職相談を受けて就職活動を支援する施設です。
いままでは企業に直接働きかけて雇用を促していましたが、サポステは就職斡旋は出来ずに、相談と研修を通して 無業者を求職者に 求職者に自己就職を促す仕事です。
直接紹介が出来ず、もどかしい気持ちもありましたが、一緒に仕事をしたいという仲間にも出会うことが出来ました。
法人設立から現在まで
法人化し、労務コンサルティングを主体に
これまでの通信制高校や紹介事業、サポステで培った知識を生かして、労務コンサルティングを主体の事業に切り替えをしました。
会社のとしての基盤を作る
そして、職業紹介事業者同士で情報共有が出来るシステムを開発する
この2点を目標に開発に取り掛かりました。
簡単にいくと思っていたシステム開発
サポステ以前も挑戦して、PHPで自分で作り始めてみたり、Wordpressで作ってみたりと試しましたがうまくいきませんでした。(そりゃそうだ)
当時から求人サイトの仕組みを活用して共有サイトを作りたいという願望があり、求人サイトのパッケージを買い取って、友達のSEにお願いして加工してもらったり・・・。なんとか使えそうなものが出来上がったけど、機能面にも不安感を覚えリリースに至りませんでした。
そこで、一から開発することになりました。
一からの開発
一から開発することになったのですが、フリーランスのエンジニアに依頼をして作り始めた・・・。
はずだったのですが、、、
全くうまくいきませんでした。
エンジニアにビジネスの仕組みをある程度理解して頂いたとおもっていたのですが、データベースが複雑で機能や情報の操作に矛盾点が多く、全く手がつかないまま構想だけ膨らみ、年月が過ぎてしまいました。
費用面を抑えようとしすぎていたのも良くなかったのかもしれません。
方針が決定し、本格的に開発へ
仲良くして頂いているシステム会社に相談をし、本格的に開発する流れになりました。
それまでの予算感よりも大きい開発が始まりました。
開発費用も捻出しなければなりません。
既存事業の労務コンサルティングの件数も増やしました。
ある程度構想は決まっていたはずでしたが、細部まで決め切れていなく、作っては直し、作っては直しと、大きい開発を始めてから約2年ほど現在で経過しています。
要約目途が立ち始めました。
ビジネスコンテストとの出会い
大阪府の担当者からのススメ
経営革新計画を提出する際に審査を受けたのですが、その際に担当頂いた大阪府の担当者からビジネスコンテストの案内を受けました。
このような場もあるから出てみてはどうか?
とアイデアを頂いたのです。
2018年に開催されたビジネスコンテストに見学にお邪魔し、たくさんの起業家のプランを聞くことが出来ました。
いずれは、自分もあそこで発表したいな。
そう思いながら既存事業と開発に尽力してきました。
いざ、出場へ!
既存事業でも忙しく、開発も同時に行いながらいたある日に、お世話になっている銀行様からビジネスコンテストに出てみませんか?
とお声をかけて頂きました。
1年越しに出場できるチャンスを頂けたのです。
でも書類審査もあり、中々高い障壁だなと思いましたが、ダメもとで応募してみることに・・・。
今回のビジコンOsakaではプレゼンの予選もあり、内心どうかなと思っておりました。
ビジコン登壇決定!
ある日、産創館の担当者からメールを頂き
出場して頂きたいと思います
とご連絡を頂きました。
念願のビジネスプランコンテストに出場できる機会を頂いたのです。
開発も大幅の事は終え、リリースしても問題無いところまで来ました。
開発に苦労し、やっと完成しましたが、まだこれからスタートを切る段階です。
ロケットの打ち上げに例えるなら、今までの取り組みは打ち上げるためのロケットを開発していたに過ぎません。
今からが打ち上げ本番です。
エンジンに点火。どのように打ちあがるのだろうか
まさにこの瞬間がこのビジネスプランコンテストなのです。
思い入れのあるビジネスプランコンテスト
是非有終の美を飾りたいと思います。
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